TOPICS(ニューズ・レター)


被害者の裁判参加 ネーベンクラーゲ を傍聴して
産経新聞記者 長戸雅子 (2003.11.25)

ドイツの法廷には「裁判の当事者」のための席が3つある。
被告・弁護側と検察官。ここまでは日本と同じだ。


もうひとつの席は検察官の横に設けられている。刑事裁判に参加する被害者のための席だ。もちろん、柵の内側だ。被害者が刑事裁判に参加する制度をドイツではネーベンクラーゲという。
ネーベンとは隣りの意味のほか付随のという意味があり、クラーゲは提訴、起訴のことである。
裁判に参加する被害者はネーベンクレーガー(女性の場合はネーベンクレーガリン)と呼ばれ、被告への質問権、証拠調べ請求権、意見陳述権、裁判官への忌避権など検察官、弁護人とほぼ同じ権利が与えられている。

被害者が参加するというと「法廷が応報的になる」という危惧の声が必ずあげられる。果たして本当にそうなのか。日本の今の刑事裁判とどのように違うのだろうか。

とにかくこの目で見たいと思い、研修の許可を得たバイエルン州ミュンヘンの区・地裁でいくつかのネーベンクラーゲ裁判を傍聴した。

結論をひとことでいうと、普通の刑事裁判だった。法廷は整然と審理が行われ、応報的、荒れた法廷を目にすることは、傍聴した六件のうち、一度もなかった。そしていずれのケースでも被害者は堂々としていた。

五歳の男の子が両親の長年の知人の男性に性的いたずらを受けた事件。
男性は両親の信頼を逆手に取り、両親の外出時にベビーシッターを買って出、その際に犯行に及んだのだった。両親は二重に傷つけられた。その痛みを両親は裁判に参加(質問や意見陳述などは被害者補佐人が全て行い、両親は傍聴席からこのやり取りを見守った)することで訴えた。

「長年隣人として付き合ってきたのに、なぜこんなことをしたのか。あなたは信頼というものを悪用したのです。」「正しく罰して欲しい。」「少しでも真実を知りたい。」当事者が当事者として発する問いや思いには独特の重さ、説得力がある。

それは応報とは全く違うものだ。前にも同じ罪で起訴されたこの被告には初の実刑判決が下された。「傍聴席で聞いているだけの受身の存在でなく、能動的に裁判に関われることが大切。能動的に関われるからこそ感情的になる被害者はいない。」とは被害者保護活動に熱心なミヒャエル・クルーザー弁護士の言葉だ。
クルーザー弁護士だけではない、法廷で対峙する弁護人側もネーベンクラーゲの意義や役割をきちんと評価していたのが印象的だった。

傷害事件で被告の弁護人を務めたトーマス・クラウス弁護士はこう言った。「犯罪で失うものが算定の容易な物質だけで済むならこの制度はいらないかもしれない。しかし犯罪による損害、傷はもともと算定が不可能だ。そして本当に回復が必要なのはこれらの傷、損害だ。だからネーベンクラーゲは必要なのだ。」もうひとつの当事者席はドイツの自然な法廷風景の一部となっていた。


そして日本でも9月に、法務省が「犯罪被害者のための施策を研究する会」を立ち上げ、被害者の被告への質問権付与などの検討に本格的に乗り出した。私も2回目の会合に呼んでいただき、この制度がきちんと機能していること、また司法関係者だけでなく警察やボランティアが連携し、社会として被害者が支援されている現状を報告させていただいた。

法律家の間で強い反対意見があることも承知しているが、導入に前向きな意見を聞くことも最近は増えた。日本でももうひとつの、そして重要な当事者席が設けられる日も近いのではないかと思う。

閉じる