VOICE -1- (ニューズ・レター)


改めて「被害者のための正義」の闘いを!
常磐大学 諸澤 英道 (2003.11.25)

「常磐大学国際被害者学研究所を開設するにあたり、10月2日に、岡村先生、猪野さん、本村さんたちをお招きし、世界被害者学会の過去三代の会長をパネリストに加えて「被害者のための正義は日本においてどう実現されるべきか」をメインテーマとするシンポジウムを開きました。


この「被害者のための正義(Justice for Victims)」という言葉は、少なくとも1980年代に、国連をはじめ国際的な会議で盛んに使われていた言葉ですが、私は、恥ずかしながら"Justice for Victims"という言葉の日本語訳を、何の疑いもなく、私の指導教授の訳に従い「被害者のための司法」としていました。

最近になって、私は、この日本語訳は間違っているのではないかとの疑問に駆られ、世界被害者学会の有力メンバーたちに、この場合の "Justice" の意味は何かと問いかけてきました。その結果、「被害者のための司法」では全く意味をなさないこと、さらに、「被害者のための正義」という問題は、欧米ではすでに1970年代から、近代刑事司法制度の最大の問題として議論されて来たことを知ったのです。

私は、つい最近まで、被害者問題が「正義」の問題であるということを正確に認識していなかったことになります。ご存知の方も多いと思いますが、わが国でもしばしば神戸連続児童殺傷事件と対比される1993年にイギリスで起こった「ジェームス・バージャーちゃん(当時2歳)殺害事件」の2人の加害少年(当時10歳、釈放時18歳)が2001年6月に仮釈放されたときに、遺族のみならず多くの人々が怒り、政府に抗議行動を起こしたのですが、その時の抗議のスローガンが「被害者のための正義」の闘いでした。
このイギリス人たちの感覚からすれば、神戸連続児童殺傷事件の元A少年がこんなにも早期に仮出院するのは、正に、正義に反することになります。

私たちは、これからの運動の取り組みを「正義を求めての闘い」と考えなければならないと思います。犯罪者の権利保護を中軸にした近代法の生成が「正義」に反するという、極めて「正常」で「常識的な」感覚を、私たちは大事にする必要があります。

先日松山で開かれた第46回日弁連人権擁護大会を傍聴して、今もって頭の中が犯罪者の人権尊重で固まっており、被害者の訴訟参加に理解を示す首相の考えをファシズムに例える弁護士たちを目の当たりにしました。私としては、前世紀の遺物を見る思いでした。しかし、このような人たちがいる以上は、あすの会の感覚が正常で、彼らの感覚が異常であることを、あらゆる機会を捉えて訴えていく必要があると思っています。


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