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犯罪被害者週間行事

全国犯罪被害者の会■マーク 『犯罪被害者週間創設記念大会』(2006.11.25) 


犯罪被害者週間創設記念大会
日時  2006年11月25日(土)
場所  全水道会館4階大会議室

2006年11月25日に、当会が主催して犯罪被害者週間創設記念大会をおこないました。

当日は、被害者運動の先駆者である市瀬朝一さんの活動を紹介したビデオを放映しました。市瀬さんの思いに深い感銘を受けられた方が多かったようです。

また、スクリーンに写真や図を映しながら、あすの会の歩みを説明しました。

例年のシンポに比べると会場は狭くはありましたが、大勢の皆様にお越しいただき、盛会のうちに終えることができました。 以下、当日のもようを紹介いたしますので、ご覧ください。
-挨拶 講演「犯罪被害者運動の先駆者 市瀬朝一氏を偲ぶ」
-記念講演「犯罪被害者と私」 祝辞
-講演「世界の中でのわが国の犯罪被害者運動と今後」 今後に向けて
-懇親会  


全国犯罪被害者の会■マーク 挨拶

代表幹事  岡 村   勲

 

2005年の犯罪被害者等基本計画の策定で、毎年11月25日から12月1日までが犯罪被害者週間とされ、全国的に啓発活動その他の行事を行うこととなりました。

これは、あすの会が長年主張してきたもので、本日は、第1回の幕開けの記念すべき日であります。

あすの会が、本日、犯罪被害者週間創設記念大会を開催いたしましたところ、週間の設立にご尽力くださった方々をはじめ、多数の皆様にご出席いただきまして、まことに有難うございます。とくに、森山眞弓元法務大臣から記念講演を、平沢勝栄内閣府犯罪被害者担当副大臣からご祝辞をいただきますことは、大変光栄に存じます。

 2000年の1月23日、私共が犯罪被害者の会を設立し、犯罪被害者の権利と被害回復制度の確立を目指して活動を始めてから6年半がたちます。

その間、犯罪被害者等基本法の成立、犯罪被害者等基本計画の策定をはじめ、犯罪被害者に対する認識は大きく変わってまいりました。

それにつけても、当会設立より30数年前に、一人息子を通り魔に殺害された故市瀬朝一氏が、独力で私財を投げ打って被害者の運動を推進された事実を、私たちは忘れてはなりません。

私たちは、この犯罪被害者週間の第1日目に、市瀬朝一氏を偲び、顕彰することをメインに据えた記念行事をおこなうことといたしました。

 
本日は、NHKのドキュメンタリービデオ「犯罪被害者同盟−市瀬朝一氏の闘い」を上映し、市瀬朝一氏の運動を支えてこられた飯島尚幸氏のご講演を伺って、故人を偲ぶとともに、私たちの今後の運動について決意を新たにする日としたいと存じます。
 岡村代表
岡村勲代表幹事
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全国犯罪被害者の会■マーク 講演「犯罪被害者運動の先駆者 市瀬朝一氏を偲ぶ」

長野県・伊那市議会議員
元犯罪による被害者補償制度を促進する会顧問  飯島 尚幸 氏

私は、昭和50年に、新聞記者として取材させていただいたのが市瀬朝一さんとの出会いのきっかけでした。以来、同じ長野県伊那地方の出身ということで親しくお付き合いをさせていただき、会の運営等にも携わってきました。

さて、朝一さんには、昭和41年当時、26歳の清さんという一人息子がいらっしゃいました。しかし、清さんは、ある日の帰宅途中、見知らぬ19歳の少年に刺されます。

清さんは、入院先で、朝一さんにしがみつきながら「おやじ、悔しい。仇をとってくれ」と言い残し、朝一さんの腕の中で倒れ、亡くなったのです。

犯人は、同僚から「お前は弱虫だから人も殺せないだろう」と馬鹿にされたことが悔しくて、誰でも良いから殺してやろうと考えたとのことでした。 やがて訪れた裁判の日、初めて犯人と出会った朝一さんは、「お前か、息子を殺したのは。」と怒り、叫びました。しかし、犯人はただへらへらとしているだけでした。

裁判になり、朝一さんは裁判での被害者の立場を認識することになりました。被害者は法廷で話すことができないばかりか、裁判の日も知らされません。他方、犯人は三食付きで、弁護士もつくのです。

朝一さんは生まれて初めて法律を勉強しましたが、被害者を守り、金銭的援助をする法律はないと知りました。 ここで朝一さんは、自分が国と闘い法律を作ることを決意したのです。

昭和42年1月、志を同じくする犯罪被害者遺族の千崎関吾さんと協力し、実質的な取り組みが始まりました。

朝一さんは全国どこへでも被害者の方々の訪問に出向きましたが、時には、「お金儲けのためか」などと辛く言われることもありました。その度に、「清、見ていてくれ」と声に出して自分を勇気づけ、活動を続けました。

やがて大手マスコミにも朝一さんの活動は紹介され、6月、会の設立総会には257名の被害者遺族関係者が集まり、朝一さんが代表に選任されました。

会は署名活動を進め、国に補償を求めました。しかし、これに対する国の答えは素っ気ないものでした。朝一さんは、自分を奮い立たせ、さらに活動を進めましたが、資金不足もあり、年々、会全体の活動は停滞していきました。

そしてその激務のため、朝一さんは失明をしてしまいます。朝一さんはくじけそうになりましたが、聞こえてくる清さんの声を支えに活動に励みました。

そして昭和49年の三菱重工爆破事件をきっかけに、マスコミも犯罪被害者の実態や救済について報道するようになりました。

報道を通じ、同志社大学法学部の大谷實教授と知り合い、初めて法律の専門家の協力を得られることになりました。 二人それぞれが代表する会は合体し、立法化への活動が本格化します。

その活動は国を動かし、昭和50年7月には、ついに朝一さんらが衆議院法務委員会で参考意見を語るまでに至りました。

この頃、朝一さんは、過労による心臓病で入退院を繰り返し、入院先から会員への指示やマスコミ対応をしていました。

朝一さんは、かつての清さんのように、主治医の腕にしがみつき、「もう2年でいいから生きさせてくれ」と懇願しました。

しかし、昭和52年1月16日、朝一さんは立法の日を見ずにその生涯を閉じました。朝一さんは、強い意思を持った無私利他の人でした。

昭和55年、犯罪被害者等給付金支給法が立法化されましたが、立法以前の被害についてもさかのぼ遡って補償するという制度は認められず、政府から届いたのは、感謝状一枚だけでした。

以上が市瀬朝一さんの闘いの生涯ですが、最後に、私としましても、今後とも皆様の活動のお役に少しでも立てればと思います。
飯島尚幸氏
飯島尚幸氏
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全国犯罪被害者の会■マーク 記念講演「犯罪被害者と私」

衆議院議員/元法務大臣   森山 眞弓 氏

私は、昭和25年に労働省に入省し、婦人少年局に配属されました。当時の役所は男性ばかりで、女性がほとんどいませんでしたので、心細い思いでした。その後、昭和34年に木下真苗さんが入省し、私と同じ課に配属されました。

私はたいへん心強く思い、何でも協力するので一緒に頑張りましょうと話し合いましたが、1、2年後に私が他の部署に異動になってしまい、直接真苗さんと話をする機会は少なくなってしまいました。

そのうちに、真苗さんが弁護士と結婚し、退職するという話を聞きました。私は、期待していた真苗さんが辞めてしまうのはとても残念だと思いましたが、心から幸福をお祈りしました。

その時真苗さんがご結婚されたお相手が、岡村勲代表だったのです。その真苗さんが不幸にして亡くなられたという知らせを聞き、私は本当に仰天しました。

その後、平成15年7月には、あすの会が集めた署名を法務大臣として初めて受け取ることになるなど、不思議な縁を感じております。そして、ご自分のためだけでなく、他の方々のために尽力されている岡村代表に、敬意を表する次第です。

私は、平成13年に法務大臣に就任しました。法学部卒とはいえ、法律に詳しいわけではありませんでしたが、国民が法律に親しみを持って安心して暮らせるように頑張ろうと決意しました。

就任早々、北朝鮮の金正男と思われる人物の不法入国や、熊本ハンセン病訴訟の判決などがあり、毎日色々な事件に振り回されていましたが、そんな中で、犯罪被害者の方々とお会いする機会がありました。

交通事故被害者のご遺族とお会いした際、ご遺族は、交通事故にも色々あるが、加害者が酒に酔って運転していたようなひどい場合には通常よりも重く罰してほしいということを訴えられました。私は、普通の感覚を持っていれば当然のことだと思い、すぐに検討するよう指示しました。その結果、その年のうちに、危険運転致死傷罪を新しく刑法に加えることができたのです。

また、その年6月に発生した大阪池田小学校事件のご遺族とも面会しました。本当に痛ましい事件で、お話していて胸が詰まる思いでした。

ひとくちに犯罪被害といっても様々であり、そのすべてに一度に対応するのはなかなか難しいですが、犯罪被害者等基本法の制定から2年もたたないうちに、犯罪被害者等基本計画として258項目を提示することができました。そして、そのうちの8割程度には既に着手しています。

しかし、被害者に対する経済的支援については、財政との関係もあり、難しいところです。何とか気持ちだけでも示せないかということで、東京の杉並区や秋田県などで、ホームヘルパー派遣・生活資金の貸付けなどの支援が少しずつ始まっていますので、さらなる普及・定着をはかっていかなければならないと考えています。

犯罪被害者の問題は、ただ気の毒だというだけではなく、社会全体の温かさ・思いやりの問題として、国民一人一人が理解しなければなりません。そのためにも、みんながこの問題を自分の問題として考えるようなPRが求められていると思います。

自民党では、少しでも早く皆さんのご要望に応えられるように、上川陽子衆議院議員を中心にこの問題に取り組んでいます。市瀬朝一さんのお目に掛けたいと思うような状況を作り出し、血の通った被害者保護を実現するために、これからも皆さんのお知恵を貸していただきたいと思います。

犯罪被害者の問題は、ただ気の毒だというだけではなく、社会全体の温かさ・思いやりの問題として、国民一人一人が理解しなければなりません。そのためにも、みんながこの問題を自分の問題として考えるようなPRが求められていると思います。

自民党では、少しでも早く皆さんのご要望に応えられるように、上川陽子衆議院議員を中心にこの問題に取り組んでいます。市瀬朝一さんのお目に掛けたいと思うような状況を作り出し、血の通った被害者保護を実現するために、これからも皆さんのお知恵を貸していただきたいと思います。
森山眞弓氏
森山眞弓氏
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全国犯罪被害者の会■マーク 祝辞

衆議院議員/内閣府副大臣  平沢 勝栄 氏

 犯罪被害者等基本法が、昨年4月に施行され、それ以降、政府は、昨年12月に基本計画を閣議決定するなど、総合的、計画的な政策を進めて参りました。

しかし、政府の取り組みは、極めて遅すぎたものであり、その内容も未だ不十分なものではないかと思います。 これからは、政府が、警察が、司法当局が、マスコミが、社会がしっかりしなければならないと思います。

岡村代表を始めとする全国犯罪被害者の会の方々が、少しでも被害者の尊厳が守られる社会になりますよう積極的に署名活動を進められ、当時の小泉総理に直接面会なさって、被害者の実情を訴えられるなど大変な努力をなさり、その結果、基本法の制定、基本計画の策定につながったわけであります。

一番おかしなことは、犯罪の被害に遭われた方が先頭に立って活動しなければならないということです。こんなことは被害者がやることではなく、政府や警察がやることでして、今後は、真剣に考えていかなければならないと思います。

 以前、岡村代表に、菊池寛の短編小説「若杉裁判長」をご紹介しました。これは、加害者に対して非常に寛大な処分をしていた若杉裁判長という方が、自分が犯罪の被害に遭った途端、がらっと変わってしまったという話です。

要するに、みんな犯罪被害者の立場から考えていないということで、この点を反省しなければならないと思います。

自民党の憲法改正案には、犯罪被害者の権利につき独立した1条が設けられていますが、これは当然のことだと思います。犯罪被害者の支援救済という対策がやっと軌道に乗りつつありますが、前途多難でありまして、我々政治家が、警察が、マスコミが、しっかりしなければなりません。

これからも、皆さんの声を聞かせていただきながら、しっかりと取り組んでいきたいと思います。
 平沢勝栄氏
平沢勝栄氏
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全国犯罪被害者の会■マーク 講演「世界の中でのわが国の犯罪被害者運動と今後」

全国犯罪被害者の会顧問/常磐大学理事長  諸澤 英道 氏

本日は、犯罪被害者週間創設記念大会おめでとうございます。 あすの会が発足して6年半がたち、このように発展し、日本の政策に影響を与えていることは非常に感慨深い思いです。

私は、日本の被害者支援活動は3つの誤りを犯していると考えてきました。
  • 1つは、支援者が主役になり被害者は脇の方へ追いやられていると思うこと、,

  • 2つ目は、被害者は支援される客体(対象)で、支援するのは被害者でないという役割付けがされていると思うこと、

  • 3番目は、マスコミの言う心のケア、癒し等という言葉は問題をぼかし被害者の気持ちを別の方に向けているだけのように思うことです。


アメリカでは、毎年4月に全国犯罪被害者権利週間があります。被害者のことを考えるいろいろなアイディアによって、全米で人々の手作りの活動が展開されています。

ヨーロッパでは、毎年2月22日がEuropean Victim Daysという被害者の日です。EU各地で、被害者支援のためのいろいろな行事が行われます。

今回やっと日本にできた犯罪被害者週間は、被害者が主体となる犯罪被害者・・権利週間であって、犯罪被害者・・支援週間ではありません。これは大変な進歩だと思います。

これまでも被害者の会や被害者支援運動がありましたが、それらのほとんどが特定の事件事故、災害に関するものでした。

豊田商事事件、日航機墜落事故、地下鉄サリン事件、北海道トンネル崩落事故、ガルーダインドネシア航空機墜落事故、和歌山毒カレー事件等、まだまだありますが、何か事件が起きたときに被害者を助けようという動きはたくさんありました。

しかし、被害者の一般的な地位の向上や権利の確立という活動は、市瀬さんのかつての取り組みと、現在のあすの会の活動の2つしかないのではないでしょうか。そうしてみると、市瀬さんの取り組みは、我が国の被害者運動の原点のように思われます。

アメリカの犯罪学者ステファン・シェーファーは、犯罪被害者の地位には歴史的に3つの時期があると述べています。被害者が当然に報復できた黄金期、近代法の整備に伴う衰退期、そして今が、復興期なのです。

社会の中で被害者は、忘れられ置き去りにされてきました。マージャリー・フライは、被害者を無視した近代法は正義に反すると述べています。

世界で初めて被害者補償制度を作ったのは1963年のニュージーランドです。その後、イギリス、ウェールズ、スコットランド、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランドと、欧米のほとんどの国が補償制度を作りました。1985年には国連で「犯罪被害者の正義のための基本原則宣言(犯罪被害者人権宣言)」が採択されました。

しかし、このことを取りあげた日本の新聞社はありませんでした。関係省庁の人達が帰国しても何も変わりませんでした。90年代初頭までの日本は、犯罪被害者に関して正に世界の島国でした。

その後、欧米諸国は被害者に関する国内法の整備を行いました。日本は何もしていません。被害者人権宣言から10年後、それぞれ各国が国内法を整備したはずだということで、専門家会議が開催されました。日本には何もありませんでした。

2000年にあすの会が結成され、間もなく犯罪被害者保護関連二法が成立しました。国会や省庁もやっと被害者に関心をもつようになってきました。

あすの会は、その後もヨーロッパ調査団の派遣や署名運動を行う等活発に活動を続けました。やっと日本の取り組みについて話せるようになってきました。

すると、世界があすの会の取り組みに注目し始めたのです。欧米諸国は被害者支援や被害者政策の先進国ですが、世界の4分の3は、被害者について全くの手つかずです。

日本は、欧米が20年30年かかったことを、5、6年で成し遂げているのです。あすの会の活動は、久しぶりに日本から世界に向けた発信です。

あすの会の活動はこれからが佳境です。
日本が、被害者に優しい理想的な国になるよう願っています。ご静聴ありがとうございました。
諸澤英道氏
諸澤英道氏
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全国犯罪被害者の会■マーク 今後に向けて

代表幹事  岡村 勲

本日の第一回犯罪被害者週間創設記念大会は、成功のうちに終わることができました。森山眞弓先生、平沢勝栄先生、諸澤英道先生、飯島尚幸さんから心のこもったお話を頂きまして、誠に有難うございます。

なかでも、飯島尚幸さんのお話は、直接市瀬朝一さんの運動を支援してこられただけに、映像や、書籍ではわからない感動を覚えました。

当会を立ち上げようとした1999年には、私は不敏にして市瀬朝一さんのことを全く知りませんでした。発起人の一人である渋谷さんから市瀬さんのことを聞き、松竹映画「息子よ」のビデオを見て驚きました。

加害者に対して息子に頼まれた仇討ちをしたい。しかし、仇討ちは禁じられている。被害者補償制度を作ることによって仇討ちに代えたいという市瀬さんの深い思いに感銘を受けました。

私も妻が私の身代わりとなって亡くなった以上、本当は仇を討ってやりたい、しかしそれは許されない。妻の死を風化させたくない。

犯罪被害者の苦しみを知った以上、犯罪被害者が安心できる制度をつくれば、妻の死を風化させずに済むのではないかと考えました。私が長年所属した弁護士会からは何の支援もありませんでした。

妻の事件について各地弁護士会は、テロを許さないという諸声明は出しましたが、私の所属する弁護士会を除いてはどこからも、声明文さえも送ってきませんでした。
私は、弁護士会などに頼らず自分でやることとしました。

そして、5人の発起人とともに、犯罪被害者の会を立ち上げたのです。68歳で遺族になり、70歳で運動を立ち上げ、現在77歳になります。大勢の方から物心両面の援助も受け、支援の顧問弁護団もできました。妻の縁で森山元大臣をはじめ、多くの国会議員の先生方からもご支援いただいております。

30数年前、市瀬さん達は、大谷實先生という協力者がおられたとはいえ、文字通り孤軍奮闘、困難を極められたでしょう。その運動の土壌の上に立って、今日の私たちの運動があるのです。

犯罪被害者運動の草分け、市瀬さんを偲び、顕彰しつつ、さらなる私たちの努力を誓い、本日の記念大会を終わらせていただきます。有難うございました。

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全国犯罪被害者の会■マーク 懇親会

 大会終了後、同じビル内にある会場で懇親会をもつことができました。
移動が楽だったせいか、受付で申込みのなかった人も多数参加してくださり、40余人を予定していた会場に、62名の方がご参加くださいました。

身動きをとるのがやっとでしたが、その分膝を交えての宴席となり、気持ちの同じ会員同士、また、支えてくださる弁護士さん、ボランティアさんとのお話もおおいに盛り上がりました。

差し入れの漬け物、洋菓子、和菓子もあり、会場の狭さを気にしていた懇親会担当者としては、和やかに終了したことを感謝いたします。

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「全国犯罪被害者の会」オレンジLine
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