1.記者からの一本の電話
ある記者から7月2日、私の携帯に電話があった。「被害者参加制度って、被害者がほとんど話せない制度でしたでしょうか?」
一体、何を言いたいのか、当初は飲み込めなかった。しかし、よく話を聞いてみると、地裁、地検、弁護士会の共催で模擬裁判が行われており、その中で被害者がほとんど発言させてもらえず、被害者の代理人、つまり被害者参加弁護士が多くの場面を独占し、求刑すらも被害者自身がさせてもらえていないとのことであった。
そして、「他のメディアも、こんなやり方には強い疑問を持っている」と言うのである。
そこで早速、他の弁護士会が共催している模擬裁判を傍聴できるよう手配し、見てきた。しかしここでも、被害者の発言する場面がほとんどなかった。
被告人への質問は全て被害者の弁護士が、証人尋問も二言だけ被害者自身が質問しただけで、あとはほとんど被害者の弁護士が、また論告求刑も全て被害者の弁護士が行った。
「第2検察官」がいるだけという印象で、被害者参加がどうしてできたのか、その趣旨が十分に理解されていないと感じた。
2.被害者参加制度が生まれた背景と
そもそも、加害者に対して適正な刑罰が下され、国が無念の思いを晴らしてくれると思えばこそ、被害者は捜査、公判に協力する。
捜査への協力は被害者にとっては大変な負担だ。葬儀の終わらないうちから、何回となく事情聴取され、家宅捜索、実況見分の立ち会いなど、くたくたになる。強制的にされた司法解剖後の遺体の引き取りや、自宅立ち入りを禁止された遺族、親族のホテル宿泊料も、かつては遺族持ちであった。
刑事司法は公の秩序維持のためのもので、被害者のためのものではない、というのが我が国の今までの刑事司法であった。
このことは、捜査、公判と進むにつれてだんだんと被害者に分かってきた。頼りにしていた捜査官から十分な事件の情報は貰えず、報道機関から知らされることも少なくなかった。
公判段階に入っても、判決書すら貰えない時期も長くあった。傍聴席もかつては報道機関の後列に座らされ、加害者の関係者と混在して座らされることもあった。
現場写真や実況見分調書、証拠類は傍聴席には廻ってこないし、供述調書も要旨だけしか朗読されないこともあるから本当のところは分からない。
加害者は平気で嘘をつき、被害者の名誉を傷つける。傍聴席の被害者は腹わたの煮えくり返る思いがするが、反論一つ許されない。傍聴席で思わず、「違います」と2回叫んだだけで退廷させられた被害者もいた。
「マイクの音量を高くしてくれ」と頼んだ被害者が「傍聴席に聞かせるために裁判しているのではない」と裁判長から一蹴されたこともあった。
ここにいたって、被害者は「自分たちは公の秩序維持の道具、裁判の資料に利用されてきただけで、自分たちのために捜査や裁判をしてくれていたのではない」ということに気づいた。こんなことなら、捜査や公判に協力するのではなかったと、刑事司法を恨み、憤り、司法不信に陥った。
こうしたわが国の刑事司法は、当然の帰結として、被害者を刑事手続きから排除してきた。何の法的地位や権利も与えられず、刑事裁判は、被害に遭っていない法律家だけで行われ、犯罪の最大の利害関係人であり、事件の当事者である被害者を完全に蚊帳の外に置き、利用するだけ利用し、被害者は証拠品だというのが今までの刑事司法であった。
これでは被害者が納得するはずがない。そこで平成19年6月20日、主要3政党の一致で、被害者参加制度ができあがった。
3.今年12月1日の施行に伴い今後の運用に期待すること
この制度は、被害者が直接裁判に参加したいという強い想いからできた制度であり、その背景には被害者の生の声を裁判官に伝えたいという願いがある。
ただ、被害者は法律の知識に乏しく、裁判の内容をよく理解することができない。そこで、弁護士に被害者を法律的にサポートして欲しいと、被害者は願っている。
それなのに、被害者に代わって弁護士が主に裁判に参加し、被害者は例外的にしか発言できないというのでは、本末転倒である。
この制度の主役は、被害者自身であり、それをサポートするのが弁護士である。
12月1日からの施行後も、模擬裁判のような間違った運用が行われるとしたら、被害者は再び「蚊帳の外」に置かれたと感じることであろう。
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