平成17年2月14日の夜のことです。当時39歳の息子は信用金庫に勤務しておりました。残業を終えて同僚と2人で帰ろうと、ドアを開けたところで、息子は何者かに襲われ刺殺されました。
何が起きてこんな恐ろしいことになってしまったのか、何もわからぬまま3年11ヶ月の月日だけが虚しく過ぎてしまいました。
「受け入れることのできないわが子の死。他人に殺されて死んでしまった。愛おしみ大切に育ててきたかけがえのない尊い命をどこの誰かもわからぬ奴に一瞬にして奪われてしまった」
この悔しさ、怒りをどこにぶつけたらよいというのでしょう。一生懸命がんばって生きてきた息子の心中を思うと、胸が張り裂ける思いがいたします。
「犯人は今どこでどう暮らしているのだろうか。他人の人生を根こそぎ倒して滅茶苦茶にして自首もせず、期限まで捕まることなく逃げ通せば、現在の法律では時効成立という無罪放免のご褒美をくれる。それを待っているのだろうか」
人を殺した者に逃げ得は絶対に許すわけにはいきません。無念のうちに殺され死んでいった者には再び生きるということは絶対不可能なのです。
いったい法律は誰のためにあるのでしょうか。法に携わる方々は、自分の愛する家族が被害にあったと今一度考えてみてください。そうしたら自ずと答えが出てくるように思います。
もっともっと生きたかった命です。生きられたはずの被害者の魂の叫びを受け止め、声なき声に耳を傾けて私は、「時効廃止の訴え」に向けて社会や国にお願いの声を出していきたいと思っています。
これから、生きていくことができるのだろうかと思ったどん底のなか、「あすの会」と出会いました。会員の皆さんにはいつも元気をいただき、多くの皆様のお力添えのおかげで今があることに心より感謝申し上げます。
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