私の専門とする司法精神医学の重要課題の一つである「精神障害と犯罪」について執筆依頼をいただきました。最初に、犯罪被害者の擁護のために献身的な努力をされる「あすの会」の皆様に深く敬意を表し、また犠牲者となられた方々を心よりお悼み申し上げた上で、この寄稿をさせていただきます。
精神障害者による犯罪は、殺人や放火などの重大犯罪については一般人口の10倍ないしそれ以上の頻度で生じており、特別な予防策が必要とされますが、このような犯罪は様々な原因・契機によって起きますので、対策も幅広いものが要求されます。かつて行つた精神分裂病犯罪者の全国調査にもとづいて必要と思われる対策を列挙すると、次の通りです。
- 1.地域社会における精神保健サービス向上
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精神分裂病による殺人の被害者の7割は患者自身の家族で、犯行前に周囲の注目を引くような徴侯を何も示さな者も2割を占めるので、犯罪を完全に予防することは容易でありません。ただし、事件前に精神病の発症ないし病状の悪化を示唆する何らかの徴候を示す者が多く(8割)、犯人の3割がそれまでに全く精神科的治療を受けたことがないといった事情も考えると、患者が治療を受けやすくる環境づくりが肝要と思われます。
事前に目立った問題行動を示さない患者の犯行を予防するためには、地域社会において精神障害者とその家族を支える精神保健サービスの向上が必要で、欧米諸国に比べて大きく遅れているこの領域の改善が急がれます。
- 2.精神科救急医療体制整備の必要
精神分裂病の殺人では、加害者が過去に暴力傾向を示していた者も少なくなく(4割)、そのため周囲の者が変調を知って不安を感じながらも対応を躊躇しているうちに、事件が起きてしまうことも稀ではありません。
このようなケースヘの対応には、地域の精神保健関係者を中心に、精神病院や保健所、警察など関連諸機関が協力して、適切な危機介入をなし得るような体制をつくること、すなわち精神科救急医療体制の整備が肝要です。
- 3・司法精神底療御度・施設の整備
精神分裂病殺人犯には発病前から暴力的傾向を示していた者も少なくなく(3割)、逮捕歴を有する者も2割を占めます(傷害犯では4割)。中には、過去に危険な犯罪を繰り返して何度も刑務所に入り、受刑中に精神病を発症するようなケースもありますが、現行制度のもとではこのような患者も、次に事件を起こしたときには不起訴とされて精神病院に送られることになります。
このような患者の多くは、例え措置入院とされても、症状の軽快を理由に数ケ月のうちに退院を認められます。病院は、病気の治療の責任は負うとしても、再犯予防のための矯正など出来ないし、またそうする責任があるとは思ってもいません。開放化の進んできた精神病院では、したいと思ってもできないのです。そこで、精神病と危険な犯罪性とを併せ持つ一群の患者たちが、何度も入院を繰り返しながら再犯を重ねるという異常な事態が生じています。
我が国は、責任無能力とされる精神障害犯罪者のための専門治療制度・施設を有しない、先進国でほとんど唯一の国で、この制度的欠陥のもとで、本来なら防止できるような事件が繰り返されているのです。我が国も、このような精神障害犯罪者に充分な治療サービスを、社会の安全にも配慮しながら提供できるようにする必要があり、司法処分の制度と、司法精神医療システムの構築を急ぐ必要があります。
山上皓先生は犯罪精神医学・司法精神医学のご専門ですが、早くから犯罪被害者問題に取り組まれ、全国犯罪被害者支援ネットワークの会長としてご活躍されております。
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