地球上の各地で、今、被害者の権利確立のための熱い闘いが続いている。その先魁となったのは、1950年代末にイギリスで起きた被害者運動であり、マージャリー・フライの「被害者のための正義(Justice for Victims)」という標語が、その理論的支えとなった。
被害者運動は、1960年代に被害者補償制度を、1970年代にはボランティアによる被害者支援活動をもたらした。
やがて学者や専門家もこの考えに同調し、1980年代に入ると欧米諸国では被害者保護のための法整備が進み、国連での取り組みも始まった。
20世紀末には、欧米の国々で「被害者の権利」と「被害者の人権」は常識になったと言ってよい。
他方、目を国内に転ずれば、「被害者の権利などという言葉はない」とか「人権という言葉は国家刑罰権に苦しめられている犯罪者のためのものである」といった、半世紀以上も前の議論がまかり通っている。正に、滑稽と言わずして、何と言えようか。
ところで、現在世界には、欧米の被害者対策先進国を追いかけている日本のような「発展途上国」と、今以てまったく取り組みがなされていない「後進国」とがある。
大雑把に見て、先進国と言えるのは世界の約2割の国で、発展途上国が3割、残りの5割が後進国である。国連犯罪防止会議や世界被害者学会に参加すると、決まったように後進国にどのように働きかけるかが問題となる。
また、国際的な被害者 支援ネットワークとして昨年創設された「国際被害者援助機構(IOVA)」をはじめ、アメリカの「全米被害者援助機構(NOVA)」、イギリスの「全英被害者支援協会(NAVSS=National Association of Victim Support Schemes)」、ドイツの「白い環(WeiBer Ring)」、フランスの「全仏被害者援助仲裁機関(INAVEM)」などでも、被害者支援の環をどのように地球規模で広げていくかが議論されている。
私は、2003年7月に南アフリカのステレンボッシュで開催された第11回国際被害者学シンポジウムの基調講演で「あすの会」の取り組みを紹介したのであるが、これがきっかけとなって、諸外国の専門家の眼差しが日本に向けられることになった。
その後、2004年12月にイタリアのコーマイヤーで開催された国連国際学術専門評議会、2005年12月にオランダのティルバークで開催された被害者問題専門家会議などでも主催者側の求めに応じて、日本の現状を紹介し、同時に、「あすの会」が如何に苦戦を強いられているかも説明した。
被害者学者にとっては、世界的規模での被害者の権利獲得が重要な課題であり、「あすの会」の取り組みがどのように遂げられていくかが気になるところである。
そのような中、今年8月20日から25日にかけてアメリカのフロリダ州オランドで開催された第12回国際被害者学シンポジウムでは、是非、岡村先生に「あすの会」の取り組みについての特別講演をお願いしたいという要請があったのであるが、今回は状況が許さず、断念することとなった。
2009年に常磐大学で開催される次回シンポジウムには、是非御登壇願いたいと考えている。
欧米では、人々が権利を求めて立ち上がり、政府に政策の転換を訴え、制度を変えていくというのが、民主国家の原点とされている。
そのような歴史と価値観をもつ先進諸国の人々にとって、日本の動向は気になるところであり、後発型民主国家がこの問題にどのように取り組んでいくのかに、世界の眼差しが注がれている。
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