12月1日から、いよいよ被害者参加、損害賠償命令の制度が始まる。あすの会はこの日を目指して運動していたのだ。
私たちが望んだ制度案とはほど遠いが、とにかく被害者不在の刑事司法に、改革の橋頭堡を打ち込んだことになる。
今までは、検事、判事、弁護人・被告人の三者だけで刑事裁判が行われ、被害者は裁判では蚊帳の外に置かれてきた。これがどれだけ被害者に悔しい思いをさせ、苦しめられてきたことか。
傍聴席でいやというほど被告人の嘘や、被害者の方に落ち度があったと言われて泣かされてきたことか。
それが傍聴席ではなく、検察官の近くにすわって、制限付きとはいえ被告人や情状証人に直接質問し、論告求刑までできるのだ。
被害者が発言すると、職業裁判官は冷静に受け止めるだろうが、裁判員だと不当な影響を受けて刑を重くするおそれがあるから参加に反対だという人たちがいる。
裁判員に影響を及ぼすのは、加害者だって同じだが、これについてはなにも言わないのは不思議である。
そもそも裁判員裁判制度ができたのは、職業裁判官だけに任せず、一般国民の多様な意見を裁判に反映してこそよい判決が出ると言うことだった。今になって職業裁判官なら信用できるが、裁判員は信用できないということは、最初の構想と矛盾ではないか。
また被害者が参加すると、応報的になるというが、被害者は法廷へナイフを持って行くわけではない。どうして復讐できるのか。
きつい言葉で質問するのが復習だというのなら、自宅へ謝りに来た加害者に強い言葉で質問することも復讐と言うことになるが、これを復讐と言う人はいないだろう。裁判所で同じ質問をすると、どうして応報になるのか。
ヨーロッパの国々では、形態の違いはあるが、参加は広く行われている。日弁連のヨーロッパ調査の報告書には、参加の弊害はどこにも書いていないではないか。
刑事裁判の判決言い渡しに続いて、同じ裁判官が2,000円の印紙を貼るだけで損害賠償請求の審理をしてくれることになった。民事訴訟を起こすことは、被害者にとって精神的にも、経済的にも大変な負担である。
私は刑事裁判の傍聴の後は、一週間くらい寝込むくらい疲れた。エネルギーを使い果たした私は、ついに民事訴訟を起こせなかった。弁護士の私でさえこの通りだから、多くの被害者は経済的理由もあって泣き寝入りしてきたことだろう。
民事訴訟で勝っても、加害者は無資力者が多くて実際はとれない。それでも加害者の責任を追及するために訴えを起こしたい。そういう被害者にとっては、大きな援軍となることは確実だ。
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