弁護士 高橋正人
参議院本会議で6月11日午前、被害者に少年審判の傍聴を認める法案が、自民、公明、民主の圧倒的多数(賛成215、反対14[社民、共産])で成立した。
同じ日の午後、福田首相に対する問責決議案が可決されたが、国会審議がストップする前に、人権に関する法案を何としても通すのだという与党と主要野党の熱意が感じられた。
加害少年の健全な育成だけを標榜する昭和23年成立の少年法に、風穴が空いた瞬間だ。
内容は二つの柱からなる。一つは、一定の重大事件に限ってではあるが、被害者が審判廷を傍聴できること、もう一つは、家裁の裁判官による被害者への説明義務だ。
今まで、被害者にとって暗闇の世界であった審判廷に光が差し、また、「被害者が来るところではない」と突っぱねていた家裁が、いよいよ被害者にも丁寧な説明をして目配りすることが、法律上義務づけられたのだ。
だが一方、この法律に対しては、一部の法律家から批判も寄せられている。日弁連執行部や子供の権利委員会に所属する人たちからだ。被害者が事件の真相を知ればさらに傷つくから傍聴させるべきではないとか、そんなに事件や審判の内容を知りたければ、裁判官や調査官から説明を受けたり、記録を見れば十分ではないか、という反発だ。
確かに、被害者、とくに遺族にとっては、真実を知ることはほんとうに辛い。しかし、それでも遺族は生きていかなければならない。そのためには、事件と向き合う事が不可欠だ。裁判官が、調査官が、加害少年が、両親が何を言うかを直接、見て聞きたいと思っている。それが、立ち直りのスタートになるからだ。
本会議に先立つ参議院法務委員会で、「傍聴することでさらに傷つくのではありませんか」という議員からの質問に、参考人として招致された都民センター相談室長の望月氏は「知ることは知らないことよりも、不安が少ないはずだ。閉め出される事の方がよほど辛い」と言い切った。
さらに、「知るためには傍聴以外の方法(説明や記録の閲覧等)もあるのではありませんか」という質問にも、「大切な人の命を奪われたのに、人から伝え聞いたり、紙切れ1枚で納得できますか」と切り返した。
私も法律家として紙の上だけで議論することがある。弁護士として、文献を読み、書面を起案することで満足してしまうのだ。しかし、当事者から話を聞くと、涙が止まらなくなり、なにかの思いに駆り立てられることがある。
そんな思いは、生身の人間とふれあい、その立場に自分を置き換えて初めて生まれてくるものだ。現場をもたなければ机上の空論に終わる。現場の意見を汲み取って法を作り、法を現場に生かす。そんな動きが、少年法の分野でも、始まった。
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