『第12 回全国犯罪被害者の会シンポジウム』大会決議
--- 2013.1.26 ---
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第1決議 死刑制度の存置
死刑制度は、犯罪被害者を含む国民の圧倒的多数が支持しており、今後も存続すべきである。
理 由
死刑にしても被害者が生き返るわけではないから、生かして償い、謝罪させた方が良いと言って、死刑に反対する論者もいる。しかし、被害者遺族が死刑を求めるのは被害者を生き返らせる方法がないから、命をもって謝罪して欲しいのである。生かして償わせるという空虚な言葉は、被害者を侮辱し、傷つけるものである。
死刑は残虐で野蛮だから廃止すべきという意見もあるが、野蛮で残虐の限りを尽くして殺害した加害者のことは不問にして死刑は残虐だというのでは納得できない。 死刑の廃止は世界の潮流だとも言うが、道徳観、死生観、文化の違いである。我が国では国民の85.6パーセントもの多数が死刑制度を支持している。
これだけ大多数の国民が支持するということは、わが国において、死刑制度が社会的秩序と人倫的文化の維持のために絶対的に必要であるということが、国民的道徳観として定着していることを何よりも示している。
江戸時代に法制化されたあだ討ちは、主眼は武士の面目の保持にあったが、実際には武士階級以外でもあだ討ちは数多く行われ、多くの市民から賞賛、支持され、実に明治6年まで継続している。日本人の精神性の中には、他人の命を奪った場合、自らの命をもって償うべきであるという道徳観が根底に横たわっていると考えるべきである。
誤判の虞れがあるから廃止すべきという論者もいるが、全ての殺人事件で誤判の虞れがあるわけではない。科学捜査の技術も進歩したし、裁判員の目も光っている。疑わしきは罰せずの原則を貫くことで誤判を避けることもできるのであり、誤判は証明の問題に過ぎない。
人の価値は平等だから死刑にすべきではないとも言われるが、人の価値が平等なら、理由もなく人の命を奪った者に対してこそ死刑にしなければ、加害者の命の価値を、被害者の命の価値よりも重く扱ったことになり、かえって不平等である。
死刑は国家による殺人だと非難する人もいるが、何の罪もない人を大量に殺戮する戦争を認めておきながら、少数の重罪犯に対する正当な処遇である死刑を否定するのはおかしい。
仮釈放を認めない絶対的終身刑を導入し、それまでの間、死刑の執行を停止すべきであるという意見もあるが、被害者は自ら支払う税金で殺人者を養っているのを腹立たしく思っており、我慢できるものではない。
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第2決議 新たな被害者補償制度の創設
犯罪被害者等給付金制度を抜本的に改め、新たな生活保障型の犯罪被害者補償制度を創設すべきである。
理 由
凶悪犯罪の被害に遭うと、被害者は日々の生活費にも事欠いてしまい、悲惨な状態に陥る。資力のない加害者から賠償が得られることはほとんどなく、改正されたとはいえ、現在の「犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律(犯給法)」のように、見舞金ないしは損害の一部補償という形で一時金を支給される方法では、当座の支出であっという間に使い切ってしまうのが実情で、人間としての尊厳を守るどころの話ではないのである。
治療費に至っては、一旦被害者が負担しなければならず、しかも、その上限も休業損害と併せて120万円に決められている。付添看護費や将来の介護費、リハビリ費用、住宅改造費・ハウスキーパーなどの環境整備費、義足などの費用、通院交通費、カウンセリング費用については、改正犯給法では、考慮されていないのである。
これらの将来の莫大な費用は、被害者の生活をさらに苦しめている。さらに、経済的な困難に陥っているか否かに関わりなく、一律に年齢区分ごとに一定の倍数を掛けて一時金を支給する現行のやり方では、本当に困っている人の被害回復には不十分である。
加えて、犯給法は、通り魔殺人を念頭においているため、それ以外での殺人事件などでは、原則として支給額が減額されることになっている。
そこで、従来の犯給法の考え方を抜本的に改め、本当に、困っている人に必要かつ十分な補償を、途切れることなく補償し、被害を受ける前の平穏な生活を取り戻すことができるよう、全く新たな「生活保障型」の被害者補償制度を作り、かつ過去の犯罪に遡って補償されるべきである。
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第3決議 裁判員裁判における量刑判断のあり方
裁判員裁判における量刑判断にあたっては、犯行態様の危険性や結果の重大性だけでなく、被害感情も含めた被害者の意見に真摯に耳を傾け、犯罪被害者の尊厳に充分に配慮すべきである。また、過去の量刑基準に引きずられることなく、市民感覚に基づくべきである。
理 由
司法研修所編の「裁判員裁判における量刑評議の在り方について」(法曹会)によれば、「被害感情の基となった犯罪行為によって生じた具体的な影響等(身体的、精神的、経済的、社会的な支障が生じているかなど)を踏まえて行為の危険性や結果の重大性の評価をした場合は、被害感情それ自体を別途量刑上重視する必要は乏しいと考えられよう。」と指摘されている。
犯罪被害者等の尊厳が尊重されることが権利として定められ(犯罪被害者等基本法3条)、刑事司法は犯罪被害者のためにもあると犯罪被害者等基本計画では宣言されている。
被害者の被害感情それ自体を尊重した量刑が下されないときは、被害者の尊厳を守ることはできないものであり、結果の重大性だけでは不十分である。
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第4決議 被害者参加制度の拡充
次の通り、被害者参加制度のさらなる拡充を求める。
- 公判前整理手続に被害者が参加できるようにすべきである。
- 証人尋問においては、被害者は事実関係についても質問できるようにすべきであり、また、被害者を証人として尋問する場合に、被害者参加弁護士からの尋問も認めるべきである。
- 併合罪などにより、同じ手続で起訴されている事件については、被害者は、全てについて参加が許可され、意見が述べられるようにすべきである。
- 裁判官、検察官、弁護士の法曹三者、特に裁判長は、被害者の声を直接反映させ、被害者参加弁護士はそれを補佐する立場に過ぎないという被害者参加制度の趣旨を充分に理解し、被害者自身が発言できる機会を不当に制限することがないようにすべきである。
理 由
- 公判前整理手続では、審理すべき点及び審理の対象となる証拠のほとんどが決定されている。
しかし、事件に至った経緯、動機などについて、被告人が述べる事実と被害者の把握している事実が異なっている場合があり、本来、その点についての審理も必要な場合がある。
裁判において、必要な審理と必要な証拠の提出を行う上では、公判前整理手続の段階で、被害者の参加を認めることが肝要である。
- 犯罪事実を立証するための証人が、検察官の知らない事実について予定外の証言をしたとき、検察官ではその証言に即座に対応できない場合がある。
そこで、事実をよく知り、即座に反論できる被害者や遺族に罪体についても尋問させるべきである。
さらに、検察官が被害者自身を証人として申請した場合において被害者と何度も打ち合わせを行い、被害者の認識している事実及び事情を最も把握している被害者参加弁護士も質問することが、事実の確認の上で最適と言える。
また、検察官による証人としての申請と検察官による尋問後ということであれば、二当事者対立構造上も問題がないものと考えられる。
- 例えば、殺人と傷害が併合罪で起訴されているとき、現行法の下では、殺人の遺族は死刑を求刑できても、傷害の被害者はせいぜい15年以下の懲役しか求刑できず、極めて不自然である。量刑は本来、全ての罪を一体として評価するはずである。
また、殺人と死体損壊で起訴されているとき、被害者遺族が一人でも、現行制度では、死体損壊については意見を述べることができない。そこで、同一手続で起訴されているときは、全てについて、参加が許可され、意見が述べられるようにすべきである。
- 実際の裁判で、裁判長により、被害者参加弁護士が付いているのであるから、できるだけ弁護士が質問すべきであるとの訴訟指揮がなされることがある。
しかし、この制度は、被害者の刑事裁判への参加を認め、被害者の声を直接聞いて貰うために作られたものであり、被害に遭っていない弁護士は、被害者の声を十分に代弁できるものではなく、本来、被害者をサポートする存在に過ぎない。
弁護士は、制度の趣旨を踏まえ、被害者が、直接発言するためにはどうすべきかということを考えて、支援すべきであり、検察官及び裁判官も、制度趣旨を前提に、刑事裁判を進めるべきである。
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