街頭に立って
- 新潟:中曽根 えり子 (2003年6月22日)
- 最初は自分と家族程度のつもりが、おそるおそるまわりに声をかけてみると、皆さんが耳を傾けて話を聞いて快く署名してくださり、第1回目の3月の締め切りまでに500名以上の方々から署名をいただく事が出来ました。
6月22日には、あすの会の皆様が東京からおみえになり、新潟で街頭署名活動となりました。もちろん私にとっては初めての経験で、新潟という地域性もあり、正直いって最初は恥ずかしさが先に立ちましたが、だんだんとお願いしていくうちに、どのように声をかけたらよいか、わかりやすく説明するには、とかいろいろ考えながらやっていたように思います。
新潟におみえになったあすの会の皆様、本当にご苦労様でした。その後も、私の友人、知人がまたその友達などに声をかけてくれて、本当に多くの方々から署名をいただいたことに感謝しています。この活動が実って、法の改正の実現となる日を心待ちにしながら、今後も細々ながら、署名活動を続けていこうと思っています。
- 札幌:高田 理恵(2003年8月23日旭川、8月24日)
- 私が二日間の活動を通して学んだ事(署名活動の極意)をお聞き下さい。
- まずは格好(疲れにくい靴と寒暖に対応できる服装)
- 持ち物(予備の署名用紙・リーフレット・筆記用具)
- 一期一会の精神(自分が会う人はあすの協力者か同じ痛みを持つ人かもしれないと一人一人に真剣な眼差しと力強い声で向きあおう)
- チームワーク(複数で署名してくれる人に即対応できるよう仲間の動きにも気配りを)
- 感謝の心(個人的時間をさいて賛同の意を表してくれた方にお礼を)
- プライド(ヘコみそうな時でも未来に必ず大きな結果をもたらすという岩のような信念を)
署名活動は大変かしらと思っているあなた、大丈夫!決してあなたは一人ではなく仲間と全国のたくさんの賛同してくださる方たちが側にいるのです。さぁ、一緒に今日も頑張って歩みましょう!
- 秋田・盛岡:吉田 勝弥 (秋田:2003年9月6日 盛岡:2003年9月7日)
- 最初の青森市での活動は、「署名お願いします」の一言がでず心配もしましたが、今回の秋田、盛岡での対応は2回目ということもあって時間の経つのも忘れて、道行く人達に声かけすることができたと思っております。そのような中で考えさせられたこととして、最近こんなに事件・事故が多発して他人事ではないはずという状況でもチラシさえ受け取らず、又「いいです」とか無言で素通りする人達もいるということです。その要因として
- 自分には(家族を含め)そのような災難はふりかからないと思い込んでいる人
- 何か物売りと勘違いをしている人
- 思想家集団のPRの場所と思い違いをしている人
- 住所を記入すると他に悪用されると思っている人
などいくつかあげられると思いますが、それらの疑問を街頭で瞬時に解き、1人でも多くの人に署名をいただく為に、これからもたゆまぬ啓蒙活動を続ける必要を感じました。
青森・秋田・盛岡での署名にご協力いただいた方から「応援してます、頑張ってください」と声をかけられる場面が数多くありましたことに心より感謝していますと共に、このような活動が1日も早く実を結び被害者にも充分陽の当たる司法制度が確立されることを祈らずにはおられません。
- 博多:畑 寛恵 (2003年2月23日)
- 今年の2月、九州集会の世話人の藤田様からの呼びかけで、はじめて博多駅前での街頭署名活動に参加しました。広島から博多までの車中では、多少の不安もありましたが、現地に着くと、すでに会員の方々が署名活動をはじめていて、私もすぐに、署名用紙を受け取り、道行く人々に声をかけました。
ゆっくりとではありましたが、かなりの数の署名がとれました。声をかけた市民の方の反応は、NHKの放送などもあったのか、「テレビを見た」とか「今の裁判では被害者はひどい目に遭うね」など、共感の声が寄せられました。
その後、長崎、佐賀と署名活動に参加させていただきました。この署名により、被害者の私たちが、自ら街頭に立つことで、市民の方に日本の刑事裁判の問題性を直接語りかけたと思います。 私たちの署名活動をさらに広げ、司法制度見直し、被害者および遺族の完全な人権の確立のため、皆様と手を携えてまいりましょう。
- 福井:藤本 護 (2003年9月15日)
- 私自身、大阪、神戸、和歌山、金沢、福井と5ヶ所しか参加していないので、あまり確かなことを云うことのできる立場でありませんが、署名を訴えかける相手の反応、対応が今年の春頃とは変わってきているように感じました。
寒い時期に比べると、気候のせいもあるかもしれませんが、「日本の司法制度を改めさせる」ことでは多くの国民の中に、この署名運動が問題を投げかけていると思います。犯罪が多発する現状に否応なく多くの人たちが考えざるを得なくなっているのかもしれません。
今はまだ「気の毒な犯罪被害者の人たち」という他人事の立場、同情で署名する人が多いかもしれませんが。一方署名を訴える自分自身を振り返ってみると、これは署名を始めたころに比べて、この運動で被害者の権利を実現しなければというある程度の使命感のようなものを身につけてきたことは事実です。
署名の感想ではありませんが、シンポジウムの意見やマスコミの対応などにも影響を与えていると実感する場面があります。また、最近の事件・裁判報道を通じてみると弁護士よりも、むしろ検察、裁判官にある程度のインパクトを与えているのではと感じます。
- 和歌山:黒江 恵美子 (2003年9月7日)
- 関西地方で和歌山だけ残っていた署名活動には、関西集会の仲間、カレー事件被害者・遺族の皆さん、そして紀の国被害者支援センタースタッフ一同(13名)が応援に駆けつけてくれました。
残暑厳しい中、JR和歌山駅前は人通りも少なく、参加したスタッフの中から「人がおらんや」と言う声も聞かれたほどです。が、心配をよそに多くの方からご協力いただき、集計の結果1150名余りもの署名を集めることができました。
また、当日はテレビや新聞などいろいろなメディアの方々が来てくれました。ある局のカメラマンは通行人に署名を呼びかけながらカメラを撮っていました。
あの暑い中、署名活動に協力してくださった一人ひとりの気持ちと、犯罪被害者の思いが大きなうねりとなって、被害者の制度確立へ向けて近い将来実現となることを期待したいと思います。みんなの気持ちが団結できた意味のある一日でした。
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