全国犯罪被害者の会顧問/常磐大学理事長 諸澤 英道 氏
本日は、犯罪被害者週間創設記念大会おめでとうございます。 あすの会が発足して6年半がたち、このように発展し、日本の政策に影響を与えていることは非常に感慨深い思いです。
私は、日本の被害者支援活動は3つの誤りを犯していると考えてきました。
- 1つは、支援者が主役になり被害者は脇の方へ追いやられていると思うこと、,
- 2つ目は、被害者は支援される客体(対象)で、支援するのは被害者でないという役割付けがされていると思うこと、
- 3番目は、マスコミの言う心のケア、癒し等という言葉は問題をぼかし被害者の気持ちを別の方に向けているだけのように思うことです。
アメリカでは、毎年4月に全国犯罪被害者権利週間があります。被害者のことを考えるいろいろなアイディアによって、全米で人々の手作りの活動が展開されています。
ヨーロッパでは、毎年2月22日がEuropean Victim Daysという被害者の日です。EU各地で、被害者支援のためのいろいろな行事が行われます。
今回やっと日本にできた犯罪被害者週間は、被害者が主体となる犯罪被害者・・権利週間であって、犯罪被害者・・支援週間ではありません。これは大変な進歩だと思います。
これまでも被害者の会や被害者支援運動がありましたが、それらのほとんどが特定の事件事故、災害に関するものでした。
豊田商事事件、日航機墜落事故、地下鉄サリン事件、北海道トンネル崩落事故、ガルーダインドネシア航空機墜落事故、和歌山毒カレー事件等、まだまだありますが、何か事件が起きたときに被害者を助けようという動きはたくさんありました。
しかし、被害者の一般的な地位の向上や権利の確立という活動は、市瀬さんのかつての取り組みと、現在のあすの会の活動の2つしかないのではないでしょうか。そうしてみると、市瀬さんの取り組みは、我が国の被害者運動の原点のように思われます。
アメリカの犯罪学者ステファン・シェーファーは、犯罪被害者の地位には歴史的に3つの時期があると述べています。被害者が当然に報復できた黄金期、近代法の整備に伴う衰退期、そして今が、復興期なのです。
社会の中で被害者は、忘れられ置き去りにされてきました。マージャリー・フライは、被害者を無視した近代法は正義に反すると述べています。
世界で初めて被害者補償制度を作ったのは1963年のニュージーランドです。その後、イギリス、ウェールズ、スコットランド、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランドと、欧米のほとんどの国が補償制度を作りました。1985年には国連で「犯罪被害者の正義のための基本原則宣言(犯罪被害者人権宣言)」が採択されました。
しかし、このことを取りあげた日本の新聞社はありませんでした。関係省庁の人達が帰国しても何も変わりませんでした。90年代初頭までの日本は、犯罪被害者に関して正に世界の島国でした。
その後、欧米諸国は被害者に関する国内法の整備を行いました。日本は何もしていません。被害者人権宣言から10年後、それぞれ各国が国内法を整備したはずだということで、専門家会議が開催されました。日本には何もありませんでした。
2000年にあすの会が結成され、間もなく犯罪被害者保護関連二法が成立しました。国会や省庁もやっと被害者に関心をもつようになってきました。
あすの会は、その後もヨーロッパ調査団の派遣や署名運動を行う等活発に活動を続けました。やっと日本の取り組みについて話せるようになってきました。
すると、世界があすの会の取り組みに注目し始めたのです。欧米諸国は被害者支援や被害者政策の先進国ですが、世界の4分の3は、被害者について全くの手つかずです。
日本は、欧米が20年30年かかったことを、5、6年で成し遂げているのです。あすの会の活動は、久しぶりに日本から世界に向けた発信です。
あすの会の活動はこれからが佳境です。
日本が、被害者に優しい理想的な国になるよう願っています。ご静聴ありがとうございました。 |
諸澤英道氏 |
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